TOP - NOVEL
LAST SMILE


 そうして、事は太一の両親にも伝えられることになった。
 忙しいはずの太一の両親が日本にやってきて、二人は怒声を浴びながら離されることになった。
 太一は3日としない内に涼子の家から両親のいるアメリカへと連れ去られた。
 せめて卒業までいさせてくれと抗議したが、その願いは叶うことはなかった。学校には真実は知らされていないが、きわめて迅速に転校の手続きがとられ、新年を迎えることなく太一は日本から出て行った。
 涼子のほうは家のほうがあるためと千秋のため、その時はその場に残ることになった。
 しかし千秋はすでに大学を決めていて一人暮らしすることが決定していたので、卒業したらその家を引っ越すことを決められた。
 実際は涼子は引越しはしていないが、太一に対するカムフラージュとしてそう言われたのだった。

 その後の涼子は酷いものがあった。
 相当依存していたのだろうか、太一と離されてから一月は食事もろくに喉を通らずやつれていく一方だった。千秋といえばこちらもショックを受けていたらしい。学校は休まなかったが、部活―――大学のための練習―――にさらに打ち込むようになった。そして家に帰れば部屋に閉じこもる。涼子とは形だけはなんとかやっていたが、何時切れてもおかしくない糸のような関係だった。
 そして2月を過ぎた頃に涼子は倒れた。
 過労のためだった。それも無理はない。仕事をしながらも、食事を殆どしなかったのだから。
 しかし怪我の功名と云うべきか。涼子のため、千秋は献身的に看病をすることになり、時間が経つにつれ張り詰めていた糸は元通りとなっていった。

 太一はアメリカの両親の元で3人暮らしをしていた。地元のハイスクールに編入していた。高校は卒業させようという両親の計らいであった。
 アメリカで働く敏腕の両親の子供である。学力は低くなく、むしろ高いほうでそこでも難なく溶け込むことが出来ていた。
 太一はアメリカで日本料理店のバイトをし、金を貯めた。
 大学にも進むことになったが、大学中で様々な資格を取り、退学した。それは21歳の春のことだった。
 
 太一はアメリカでは大人しい男子として認識されていた。
 滅多なことでは口を開かず、パーティーに誘われても必ず断っていた。まるで魂のない人形のようだと同期のクラスメイトは語っていた。
 
 そうして秋。
 太一は日本に戻ることになる。








* * *








 太陽が最も赤く燃える時間帯に涼子は帰り道を歩いていた。少しだけ背筋を丸めていく足取りは重い。
 夕暮れを見る度に涼子は泣きそうになる。赤く染まった太陽は強制的に気分をアンニュイにさせ、いつもあの過去を思い出させる。

 映画を見た後の燃え滾る太陽の御姿。
 いつになく真剣だった太一の瞳。
 娘に背徳の場を見られた罪悪感。

 そんな中だから、その姿が映されたときは幻かと思った。


 「え…―――」


 開いた口が塞がらない。言うべき言葉が見つからない。足が動かない。
 
 目の前に、失ったはずの彼の姿が見えた。

 困惑と焦りが体中を駆け巡る。
 かろうじて彼女は「太一さん」と小さく発声した。



 ぴくりと太一の指が動いた。
 どこかで聴いた声。どこかで聴いていた響きが自分を呼んだような気がして。
 眼を開ける。
 探す。
 確認する。

 確かに、視線の先には戸惑っている涼子の姿が見えた。
 
 両脚が勝手に動いてゆく。
 地面を踏みしめ、歩幅は小さく恐る恐ると。
 
 ―――あぁ、この感じ。あの時と同じだ。

 かつての始まりの夜のビジョンが頭を駆け巡る。
 そうして、あの時と同じように「涼子さん」と呼びかけた。
 涼子がビクと小さく震える。そして俯いたまま静かに近づいてくる。あの時と同じように泣き出しそうな顔つきで。

 カサカサと枯葉が風に揺れて音を奏でる。
 
 近づいてくる涼子の姿に太一は驚いた。
 ―――やせ、た?
 腕や脚や顔が昔より細くなっていた。眼は以前のように輝いてはいなくて、病気のように見えた。
 そうして抱きしめた彼女は、儚く脆い存在となっていた。
 抱きしめたら折れてしまいそうな、胸に埋めたら消えてしまいそうな、そんな人の夢のように。


 「…………」
 「…………」


 どちらも何と言っていいか分からないようだった。何かを言おうとするけれども口が動いてくれない。
 お互いを確認するようにただ抱き締めあっていた。

 
 「……本当に、太一さんですよね?」


 酷く震えた声で涼子は今更のようにそう尋ねた。
 抱きしめあってはいたけれども、信じることができなかったのだ。
 だって、彼は外国へと引っ越してしまって、もう逢えないと思っていて。ずっと自分は一人なんだと覚悟していたから。
 この腕の中の人が、幻想かもしれないと疑ってしまう。


 「…えぇ、諦めきれずに戻ってきたしつこい男ですよ。涼子さん」


 しかし太一は確固としてそこにいた。
 3年ぶりに聴いたが、その声の温かさは全く変わっていなく、抱きしめられている腕も本物だった。
 嬉しさで、涙が溢れてしまう。
 
 思春期の中学生のように鼓動を続ける身体を抑えようともせずに太一は涼子を改めて抱きしめた。
 涼子が確認してきたように、太一も同じ気持ちであった。
 だがしかし腕の中にいる彼女は紛れもなく本物。
 痩せてしまってはいるけれども、あの夜と同じ女性だということを確認した。
 
 ―――あぁやっぱり。
 許される関係ではないけれども―――
 ―――駄目だとは分かっているけれど
 ―――それでも愛している。

 そして太一は、あの約束を思い出した。


 「ねぇ涼子さん…覚えていますか?」
 「…何を?」


 いきなり何を言い出すのだろうかと涼子は顔を上げて疑問に思った。
 考えてみると、いつも自分は太一に翻弄され続けている気がする。そんなのも悪くないと思うけれど。
 

 「ほら、最後にデートした日……うんって言ってくれたじゃないですか」
 「あ……」


 いつも思い出す過去の情景を一コマ。あの、台詞が脳裏で再生される。


 「―――笑って、生きてくださいね」


 太一の声が聴こえた。
 そうして考えてみる。あれから3年間。自分はどう生きていたのか。約束通りにしていたのだろうか。
 そうして涼子は落ち込んだ。

 笑いなんて、欠片すらしていない。


 「それは……だって!」
 「……出来なかったんですか?」
 「だって……だって……太一さんがいないのに笑うなんて出来るはずがないのに…」


 怒られるのではないか。決別を言い渡されるのではないか。
 怖さで逃げ出しそうになる。
 別れたくない。離れたくない。
 捨てないでと言わんばかりに涼子は太一にしがみ付いた。
 そして太一が口を開く。


 「……えぇ。僕も守れていませんでした」
 「……は?」


 耳に入ってきたのは予想もしない言葉だった。
 戸惑いと、捨てられない喜びとが入り混じる。
 

 「やっぱり、涼子さんがいないとダメみたいです。あっちで、告白されたりもしたけど、全然興味なかった」
 「……太一さん」
 「だから、日本に戻ってきたんです。引っ越したって聞いてたから、長期戦で探すのを覚悟して」
 「あ、それは……」
 「はい、分かってます。母さんには嘘を吐かれたけど、もういいんです。こうして逢えたから」
 「あ……」


 いつの間にか太一は涙を流していた。
 多々の理由が混ざり合い、駆け巡る。太一は強く涼子を抱いた。
 溶け合うように。一つになるかのように。


 「涼子さん、一つお願いがあります」
 「…なんでしょう?」


 目尻から一筋の涙を零し、太一は涼子と向き合った。
 綺麗な涙だな、と涼子は思う。
 一呼吸吐いて、太一は言った。


 「これから、一緒に笑いあいながら暮らしましょう。ずっと」
 

 プロポーズされてるのかな?と涼子は場違いに思う。
 本当に自分でいいのか? もっと、若い女性がいいのではないのだろうか?
 そんな疑問が浮かんできたが、すぐに打ち消した。
 太一は自分がいいと言ってきたのだ。自分のために国境を越えたと、愛しているから戻ってきたと答えたのだ。
 もう、自分を抑えるのはやめにしよう。
 
 そう、愛する人がここにいるのだから。


 喜びの涙を流しながら涼子は答える。
 これまでの人生と、これからの人生の中でも、最上級に輝いた笑顔で。

 一生太一の中に残ることになる、その笑顔で。



 
 「…はいっ」



 Fin
あとがき - TOP - NOVEL
ネット小説ランキング>恋愛シリアス部門>「LAST SMILE」に投票
ネット小説の人気投票です。投票していただけると励みになります。(月1回)