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エピローグ ―――Epilogue



 柔らかな午後の日差しが、桜色に染まる並木道を優しく照らす。
 ―――春。
 史人が全国でも有数の教育大に入学して、早1年。
 春が訪れ、夏が過ぎ、秋の香りを残し、凍てつく冬が姿を変え、また春がやってきた。
 春は別れと出会いの季節。
 哀しみと楽しみの交錯する景色の中、彼女は口元を軽く緩めながら歩いていた。
 足取りは軽い。


 「……ふぅ……」
 

 一度立ち止まり、彼女は振り返る。
 赤茶色のキャンパスを背景に、笑う人、涙を流す人、色々な表情の人が見えた。
 今自分は、どんな顔をしているだろうか。
 恐らくは。嬉しさとどこか複雑な感情が入り混じっているだろう。
 先程より、0.8倍くらいにスピードを落として、少し小幅で歩く。

 1年と、半年前。
 史人と約束を交わしたあの日から、彼女は猛烈に受験勉強を始めていた。
 参考書を両手では数え切れないほどこなし、毎日の授業の予習、復習も欠かさず。
 目の下には毎日のように隈を作り、ぱっちりとした瞳はあの日からどこか眠そうに見えていた。
 しかし、その甲斐あってか、学年でも中の下だった成績はいつの間にかトップグループへと躍り出ていた。最終的には1位をとるほどに。
 全ては史人との約束を果たすため。
 自分の望みを叶えるため。

 
 校門が見えてきた。
 ここ、東雲教育大学は名前に因んで、雲に近い場所。つまりは小山の上に聳えていた。とは言っても、そこまで高いわけではないが。
 割りと田舎に点在するキャンパス。
 豊かな心を持ちながら学ぶのに最適な環境だということで、人気があった。
 それで史人もここに進学することを決めたのだ。

 穏やかな風が彼女の髪を撫でる。
 彼女には少し、気がかりなこと―――不安があった。
 これからのこと。
 両親には史人と同じ大学に進むので一緒に住むと言ってきた。何の心配もいらないと。兄妹だから、大丈夫だと。
 それは、半分は事実で、半分は嘘だった。
 実の親を騙してしまった。
 優しい性格に育った彼女は、嘘をついて家を出てきたことに罪悪感を感じていた。
 それに、心に存在する不安。
 もしも何かのはずみで両親にばれてしまったらどうしよう。
 兄と妹なのに。好きあっていると、愛し合っているということが知れたら一体自分たちはどうなってしまうのだろう。
 厳格な父のことだ。即刻学校を辞めさせられ、離れ離れにさせられるだろう。
 そんなことをされたら自分はどうなるか分からない。
 ウサギのように、寂しさで死んでしまうかもしれない。
 兄に会えなくなるということはそういうことだった。

 
 「兄さん……」


 兄の顔を思い浮かべる。
 昔から、あのときから自分の気持ちは変わっていない。むしろ、中々会えなくなってしまった―――文人が一人暮らしを始めた―――から逆に慕情は募るばかり。
 そこで改めて確信する。
 学校よりも、両親よりも、何よりも自分は兄が大事なのだということを。
 
 足取りが自然と速くなる。
 確か約束では、校門の傍で待っていると言っていた。
 きょろきょろと辺りを見回しながら進んでいく。

 すると、校門近くの桜の幹に寄りかかって本を読んでいる一人の青年が見えた。
 高くはないが低くもない身長。痩せ型の体系。銀縁の細い眼鏡と男にしては長い髪が気弱さを演じている。
 ―――彼である。
 いつまでも、昔から想い人。ずっとずっと一緒に暮らしてきた、最も自分の傍にいた人。
 我慢が出来なくなり、兄さんと呼びかける。
 彼はそれに気付き、ぱたんと音を立て、本を閉じる。
 にこりと笑いかけられる。
 優しい笑顔。たまにしか見せないその笑顔は、彼女を掴んで離さない。


 「朱美」


 傍まで寄ると、少し高めの声で名前を呼ばれた。
 胸が、切なくなる。


 「……兄さんっ」


 飛びつく。
 腕を背中に回し、今まで会えなかった分を取り戻すかのようにぎゅうとくっつく。
 
 寂しかったのだ。
 会えなくて切なかったのだ。
 
 何度枕を濡らした夜があったろう。
 何度くじけそうになった日があっただろう。
 何度寂しさに押しつぶされそうになっただろう。

 寂しく冷たかった今までが、この温もりの大切さを増幅させ、朱美は涙を流した。
 あの時とは違う、温かい涙を。


 「おめでとう。やっぱり、朱美は偉い子だ」
 「……ぇぐっ」


 史人は嬉しそうに涙を流す朱美の頭を優しく撫でる。昔から、変わらないその仕草。
 変わっていないことを肌で感じた彼女は、また瞳から雫をこぼす。


 「とりあえず、家にいこうか、と言いたいところだけど、最初に言っておかなくちゃね」
 「……っん」


 なぁに?と喉を鳴らして訊ねる朱美。
 もう、我慢しなくてもいいんだ。と史人は思った。


 「愛してるよ、朱美。そして……おかえり」
 「……えぐっ」


 ぼろぼろと涙を流し、泣き崩れかける朱美。
 愛している。その言葉が、ずっとずっと聞きたかったのだ。
 座り込むにはまだ早い。言うべき言葉が、あるから。
 ぐっと精一杯力を込めて、自分の力で地面に立つ。
 そして。


 「ただ、いまっ……兄さん……っ!」




 涙を流しながら、されど今までで最高の笑顔を浮かべて。

  
 桜たちに祝福されながら、彼女はそう答えたのだった。



 Fin



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