ダイエット
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洗濯物の多い日に

抱きしめたその身体が、凄く小さくて驚いた。

「ぁ……っ」

酒の所為か、それとも違う原因か。彼女の顔は薄く朱に染まっている。
いつもは纏めている髪はほどかれていてさらりと流れている。茶色のロングヘアーが月明かりに照らされる。
まるで月の妖精だと、本気で思った。

「髪……さらさらしてる……綺麗」

「……っ」

左腕を彼女の腰に回し、右手を頭へと持っていく。
右手でその天の川のように流れる髪を梳いて、腰を少し引き寄せた。
彼女の両手のひらと整った顔が僕の胸に持たれかかる。
はぁ…と彼女が熱っぽい息を吐いた。心臓が最高潮に高鳴っているのが聞こえる。僕のと、腕の中の人の音が聞こえる。

さらさらと飽きることなく髪を梳く。時折耳たぶに触ってみたりするときゅっと強めに抱きついてくる。

「もっと……ぎゅって、抱いて……?」

顔を真っ赤にしてそう呟く姿は反則的に可愛い。その求めに答えてやると、さらに心臓がスタッカートを強める。
恥ずかしいくせに甘えてくるその仕草に、僕の脳は蕩けてしまいそうだった。

「顔、紅くなって綺麗……。それにすごくドキドキしてるよ……?」

「だ、だって……」

紅く染まった顔を隠そうと顔をぎゅっと胸元に擦り付けてくる。すりすりとしてくるその仕草が甘えた猫みたいだ。
普段は綺麗で落ち着いた物腰のくせに、二人っきりになったとたんに恥ずかしがりやの甘えん坊になるそのギャップに翻弄される。
梳いていた右手で頭をぽんぽんと軽く叩いてやる。
「?」と首を傾げながら胸から顔を離す年上の彼女。顎をくいと軽く持ち上げる。
そのまま、フレンチに口づけた。
瞳をとろんとさせる彼女を抱きしめたまま、ゆっくりとベッドにおろす。

「あぁ…好き、よ……」

「……僕も」

そして、震える唇に、僕のそれを重ねた。










洗濯物の多い日に
Presented by 三式










そして、夢精した。
陰茎の先が奇妙な冷たさの液体の感触を覚えていて、僕は久々に夢精したな、と改めて認識した。
そして2秒後に自己嫌悪に陥った。

「やっちまったよ…僕ってばタマってたのかな…」

トランクスとパジャマを引っ張り、改めて自分のそれを見る。白とも透明ともいえない微妙な色合いの精子が僕のそれを優しく包むように見えた。

―――うん、きちゃない。

僕はフッっと気障ったらしく笑ってパンツを脱がずに元に戻した。冷たい。


やるせない気持ちを抱えながら部屋から出る。廊下というほど長くもないそれを通り、リビングへと向かう前に洗面所へと向かう。
無論、濡れたパンツを洗濯機に入れるためである。…恐らく、姉さんにばれるんだろうなぁとか思いながら。

僕が住んでいるのは都市から少し外れたところにある二階建てのアパートである。
家賃は5万2千円。2DKで、風呂とトイレ完備。まぁまぁな物件である。ちなみに、今流行のインターネット完備という部屋ではない。
外観は薄い青と白で色付いていて、清潔感を漂わせる。真正面から向かって真ん中に階段があり、その階段の左右に部屋が一つずつの4部屋構成。
いかにも、どこにでもあるといったアパートである。僕が住んでいるのは1階の右、101号室だ。

軽く洗面台でパンツの汚れを水で落として、洗濯機へとダイブさせる。バスケットボールのシュートらしくカッコよく。左手はそえるだけ。
べちゃっとパンツが洗濯機の底に当たる音がした。ナイスシュート。僕ってカッコいい。
入れたのが穢れたパンツで無ければの話だが。


「……ぜぇぇったい、ばれるよなぁ…。姉さんは勘が鋭いから」


そしてからかわれるのだ。ネチネチと、けらけらと。

この101号室には住居者が2人いる。唯一の男手である僕と、実際の主である星 樹さん ―――僕の、実の姉である。
読み方はほし いつき。僕より3つ上の大学4年生。21歳。就職も決まっていて、後は卒業までのんびりすごすといった感じである。ちなみに、文学部だ。
そして僕は姉さんと同じ大学、同じ学部の1年生。
実家からこの大学まで通うのは辛いということで、姉さんが住んでいたこのアパートに乗り込んだ、というわけである。
僕がこの家に来ると電話で伝えたとき、心なしか姉さんの声は弾んでいた。実際、ここに来たときにはすごく嬉しそうな顔をされた。
一人暮らしで寂しかったのかな、とか思ったがそれは間違いだった。
そう、僕の勘違いで―――


「ねぇ真樹ぃ―――? 朝ごはん、まだなの―――?」


…来たよ、毎朝恒例の姉さんのおねだりが。


「はいはいはいっ! 今からやるから待てって!」


新しいパンツを穿き、台所へと向かう。掛けていたエプロンをつけると、姉さんの後姿が見えた。
長い、茶髪の髪。正面の顔は見えないが、恐らく眠そうな顔をしているのだろう。内容なんてわかってないくせに朝のニュースにふんふんと頷いている。
まったく、メシが欲しいなら自分で作ればいいのに。

唯一の特技といってもいい卵の両手割りをこなし、二人分の玉子焼きを焼く。半熟が好きな姉さんだ、この料理は20秒で終わる。
余熱で温めている間に冷蔵庫から納豆と浅漬けを取り出す。味噌汁は昨晩の残りだ。そんなもの、いちいち作っていられない。
そして最後に茶碗にご飯をよそってテーブルへと置く。


「ねえさーん? 準備できたよ」
「うん、今行くよ」


きちんとテレビを消してから姉さんは朝食の置いてあるテーブルに来る。
別に点けてたっていいのにと思うが、そこは姉さんは許さない人だった。食事中にテレビを見てるのはマナーが悪い、とのこと。
気にやしないって僕は思ったが、姉さんに逆らうと僕は粉骨砕身してしまう。ん? 使い方間違ってるか? 気にしない。
とにかく姉さんを怒らすと火砕流は飛び散りツノに雷は落ちるはで大変なのだ。


「さて、いただきます」
「いただきます」


味噌汁を一口飲んで、姉さんは玉子焼きを口にする。


「姉さん? どうかな、今日は甘めに作ってみたんだけど」


僕がそう言う瞬間、姉さんは「はぁ…」と恍惚そうな表情をした。むぐむぐと咀嚼し、左手で頬を押さえている。
ちなみに、姉さんは右利きである。


「やっぱり、真樹の料理は最高ね……ここに住ませてよかったわ……」
「毎日言ってるよね、そのフレーズ」
「いいのっ。思ったことはその場で言わないと機会逃して後悔するんだから」


―――そう、姉さんはコックが出来ることで喜んでいたのである。寂しいなんて、僕の勘違いだったんだ。

姉さんは贔屓目を抜かしても一般人より明らかに綺麗だ。
パーマ等はかけていないが、長くしなやかな髪。165センチの適度な身長。眉は細くもなく太くもなく整っている。少し、たれ目。それに茶縁のメガネがよく似合う。
そして痩せ型の癖に着やせする胸。
―――あぁいや、別に見たわけではなくて、洗濯の時に下着があっただけであって―――。
性格は普段は温厚。誰にでも優しく接し、常識を守る。…ただ、普段優しい分、怒ったときの反発が恐ろしくて。
許されれば背中に注意書きを張っておきたいくらいだ。『猛獣、起こすな!』って感じのを。んなことしたら恐ろしすぎるのでやらないけど。
ただ普通に過ごしていれば限りなくいい女性なので、誰も放っておかないはずである。

だから、寂しいなんて、ありえない。

目の前を見れば、薄いピンクのパジャマを着た、無防備な姉さん。
右側の髪に寝癖がついていることに気付かない姉さん。
美味しいと僕の料理を褒める笑顔の姉さん。
姉弟と思わなければ、犯罪に走ってしまいそうなほどに惑わせる、姉さん。


「…………」


頭を振って、自分を叱咤させる。

何を考えているんだ、僕は。
実の姉に欲情するなんて、馬鹿なことを。
姉さんをこの腕の中にしまい込んで、壊してしまいたいだなんて―――既知外野郎め。


「あ、ねぇ真樹」
「……ん? どうしたの、樹姉さん」


なんだか、深く考えてしまっていたようだ。
姉さんの声に反応して顔を上げてみれば既に8割以上朝食を平らげている姉さんがいた。
僕はといえばすっかり箸は止まっていて、半分も食べていない。


「今日、学校が終わったらサークル終わったら早く帰ってきてね。バイトもないんでしょ?」
「あ、うん……。だけど、どうして?」
「うん? 気付いてないのかな?」
「?」

少し悩んで、うんと自分に何かを言い聞かせ、姉さんは僕に語りかける。


「ね、今日、真樹の誕生日じゃない」
「…あ、そういえば」


嬉しそうに話す姉さんの声を聞きながら、カレンダーを見た。
6月の10日。確かにその日は僕が丁度19年前に母から生まれてきた日だった。
確か、夜の遅くに生まれてきて大変だったとか。聞いた話によると生まれたのは朝の2時過ぎらしい。
大変だったのよー、とか感慨深く話していた母の顔を思い出す。いや、まだ生まれてないのに時間とか選べないし。


「だから、今日は奮発する予定なのです」
「え、嘘だろ?」
「ホントもホントよ。今まで私が嘘とか吐いたことある?」
「ある」


間髪いれずに返す。今まで何回姉さんの嘘で僕が酷い目にあってきたことか…思い出したくもない。
ただこのときの姉さんの顔は喜びの中に妙な真剣さを帯びさせていて……何かを決意してるようにも見えた。
その心内など、僕が知る由もない。


「ぐ……ま、まぁそれは置いておいて。とにかく、今日の夕食はすごいから。ワインとかも買ってあったりして」
「ちょっと、本当に?」
「本当だって言ってるでしょ?」
「だ、だってさ…」


―――そんな金、どこにあったんだよ。

とは口に出せなかったが、内心にあったのはそれが9割を占めていた。
言っては悪いが、家の親の仕送りは少ない。というか、ない。いや、あるにはあるのだがそれはアパートの家賃だけであった。
諸々の生活費は僕と姉さんが学校終わった後にバイトをして稼いでいるのだけだった。それも多いとは言えない。
ぶっちゃけると、少ないのである。

僕にはつい先日まで彼女がいた。高校からの半年の付き合いだった。2週間ほど前に別れたのであるが。
その原因は、やはり金である。愛にお金は関係ないよとよく言われるが、それは間違っていると思い知らされた。
ろくにデートにも行けず、彼女の鬱憤は溜まっていく一方だったのであろう。それに特に深い関係だったわけでもなく、冷めるのも早かったのだと思う。
燃え上がることもなく、冷めるのは急ぎ足だった。
実は、初めての恋愛関係だったので、すごくショックを受けた。まぁ立ち直るのも早かったんだけど。


「……まぁいいでしょ? たまにはさ、背伸びしたって。それに言いたいこともあるし」
「言いたいこと?」


聞き返すと、ぼっと赤く染まる星家の樹さん。なんだ、この変わりよう。
勝手に盛り上がって勝手に赤くなる姉さんはちょっとよく分からない。
分かることといえば、染まったその顔が今まで見たことないくらいに可愛くて―――心臓が跳ねる。


「そっ、それは気にしなくていいから! と、とにかく、真樹は早く帰ってくればいいのっ」
「はは、分かったって」


慌てて話す姉さんの顔がなんだか可笑しくて笑ってしまう。なんだか、年上の癖に年下みたいで可愛らしい。
自然と口元が緩む僕の顔を姉さんは見る。すると、何故か知らないが姉さんは急に落ち着きだした。


「…まぁ、そこまで早く帰ってこなくても大丈夫だけどね。少し夜が遅くても、むしろ好都合というか……」
「あはは、どっちなのさ。分かった。姉さんを待たせないように帰ってくるからさ、それでいいだろ?」
「うん、それで。……さて、準備でもしようかしら」
「そうだね、そろそろ始めないと講義に遅れる時間だし」


ごちそうさまと二人言い合って、身支度へと移る。
今日は誕生日だけど、それ以外特に代わり映えのない朝。

さて、とりあえずこの食器たちを片付けますか。










* * *









滞りなく一日の予定を済ませ、樹は一人部屋に佇んでいた。
夕食の下ごしらえは既に済んである。ケーキは1ホールだと多いので店で3切れほど買ってきてある。2人で祝うくせに3切れというのは、無論自分が2切れ食べるため。
チーズケーキが2つにモンブランが1つ。チョコにするべきか生クリームたっぷりのショートにするかといった選択肢もあったが、真樹は甘いものが得意でないため却下した。


「はぁ……」


ため息を一つ意識して出してみた。身体の中にあるもやもやを吐き出すつもりでやったのだが、効果は薄い。
いけないことだと分かっている。自分が言葉に出さずに、仕草に出さないでいれば気付かれることもなく生きていけるのに。
だめだった。もう抑えきれなかった。

丁度10日ほど前、弟が彼女と別れたと言ってきた。

夜だったか。とぼとぼとした表情で夕食を作る弟の顔を見て何となしに訊ねてみたのがいけなかった。
瞬間的に身体が硬直したのを覚えている。どうして? 何故?という感情が体中を駆け巡って、痛い。
そして、その感情の片隅で、嬉しいという意識が淡く光っていた。
その半年前に、彼女が出来たと嬉々として報告してくる弟がいた。その知らせに、樹も心から喜んだのを覚えている。
弟―――真樹とは違う理由で。
弟に彼女が出来た―――すごく喜ばしい。だって、これで自分が暴走することはなくなってしまうのだから。
そう、嬉しかったのである。

だけど、その抑制力もつい先週に綺麗に拡散してしまった。
真樹には彼女がいる―――そう言い聞かせて抑えつけてきた。

何度、枕を濡らしたか。

そうして、別れたという、吉報。
なだめ続けていた劣情がたった一言によって増幅し、制御不能となった。

いつからなんて覚えてない。どんなきっかけだなんて覚えてない。
いつの間にか芽生え、育ったその大樹はちょっとやそっとの風雨じゃ揺るがなかった。
忘れようと、折ってしまおうと他の男と寝てしまおうと考えたこともある。幸い男には困らなかったし、そういう事になる場面も少なくなかった。
ただの一度もそこまで及んだことはなかったが。どうしても頭の中にはあの子の顔がちらついて、逃げ出してしまっていた。
どうすればいいんだろうと泣いた夜もあった。解決することはなかったけれど。
結論は、思い切り声に出してぶつけてしまおうという風に辿り着いた。それがどんな結果であれ、多少なりはすっきりするはずだと言い聞かせて。

窓の外の夕焼けを覗く。すぐ近くに誰かがいるような気がして、声に出して感想を言ってみた。


「空が、高いね―――」
「……そうだね」


そこにいたのはどう見ても、紛れもなく自分の弟で。
胸が高鳴ると同時に、妙な落ち着きが心の中を渦巻いた。
いつも不思議な気持ちにさせるこの青年が、たまらなく愛しく―――欲しい。

そうして無言で玄関へと向かう真樹のを見て、自分も出迎えの準備をする。

最初から切り出してしまうとなんだか癪に障るから、すこし冗談っぽく切り出してみようかな……。
失敗するはずがないな、と妙な確信を持ちながら、彼女はこれからの弟という恋人の生活を思い浮かべて玄関口へと向かった。

ドアが、開く。


「おかえりなさい。ねぇ、今日の洗濯物、パンツが一枚多い気がしたんだけど―――」



Fin

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