TOP - NOVEL

「……はい。はい。失礼いたします」

電話での応対を的確に、正確にこなしていく女性の姿がそこにはあった。
回線の向こう側の相手の相談を受けて回答を導くその様子は、もう何年もその仕事をやっているかのように見えた。
そして乱暴にはせず、されど素早く受話器を置く。
何故かその女性は、その後に必ず深いため息を吐くのだった。








Summer
8:――ユートピアは見えてるのに――

Presented by 三式







カチャカチャと箸の音と楽しげな話し声が聞こえてくるひと時の団欒。
それは大抵の家庭ならばどこにでもあるものであり、安藤さくらの一家もそれに例外はなかった。
コンセプトは和である夕食に乗せて、今日の出来事やらテレビの話題の話をする。学校でこんなことがあった。会社の部下がやらかした。新しい映画が上映されるらしい。
そんな何気もない内容で人々は楽しめるものだ。
だが、あくまでもそれは話す相手、つまりは家族または友人が身近にいる場合だけである。
つい先日にあの空虚な空間にただ一人で暮らしている彼の姿を見てしまったさくらは素直に楽しむことは出来ていなかった。
責任感の強い娘なのである。何事も抱え込もうとし、誰であろうと分け隔てなく接する。彼女を良く知る友人は、何時の日にか溜め込んだものが暴発してしまうのではないかと心配する。

「…そうだ。そういえばな、会社で臨時で来ている女性がいるんだがな」

食事も佳境に入り、既にさくらの弟が2杯目を食べ終わろうかと言う頃、彼女の父が思い出したように口を開いた。

「どうしたの? その女性が」

少し口が止まってしまった彼に対してその妻が促すように言う。

「ん、いやな…その女性なんだが、仕事は上手にこなすんだが…」
「うん」

ざわり。

妙な動悸が彼女に違和感を生み出した。
さくらの体の奥で何かがざわめく。

「一仕事終えると何故か何時もため息を吐くんだよ。それも深くね」
「……それは一息入れるためじゃないのかしら」
「うん、最初はそう思って気にしてなかったんだよ。だけどさ、必ずといっていいほどなんだよ頻度がね。ほら電話対応のやつを纏めるのが僕の仕事だろ?」

さくらの父の仕事は中間管理職だ。彼は家電等の電機メーカーに勤めていて、それの不具合などの電話サービスの管理をしている。
YA○A○A電機の系列だ。ちなみに月給は中々いい具合に貰っている。閑話休題。

「毎日電話がかかってくるわけだよ。1日に1件とかじゃない、何十件といったようにね。その度にあるもんだから…気になるだろ?」
「確かにねぇ……何か精神的に参っていることでもあるんじゃないの?」

さくらの箸が、止まる。
今この瞬間、彼女の中のパズルが組み合わさろうとしている。
それは高く広がる青い夏空のような清々しいものとはいうことはできず、夕立を思わせるような灰色したもののピースだ。
いかにも難しく、娯楽として使われるジグソーの数の比にもなりはしないのに、彼女の中で面白いようにかちりかちりと嵌っていく。

確固たる確証もなく、誰もその人であると言ったわけでもない。もしかしたら何の関係もない、ただの一般人のことかもしれない。
ただ、彼女の本能ともいえる部分が。その目で見たあの一枚のポートレートの女性のその雰囲気が。忘れられないあの深い瞳が。
さくらの脳裏に浮かんでは重なっていく。

―――ドク、ドク…ッ―――

「……ねぇお父さん」

いけない―――。安易に家庭の事情に踏み込んではいけない。
そう理性は主張しているはずなのに、自分のその口唇は核心に一歩迫る一言を紡ぎだそうとしている。

おせっかいではないのか? 迷惑だとは思わないのか?

だが、もう止まらない。

「その人の名前、教えてもらえないかな―――」





時刻は12時半丁度。何事もなく4時限目の授業が終了し、学生たちは皆各々昼食に取り掛かる。
ある男子グループは学食へ向かい、またある女子2人組みは向き合いながら弁当を取り出し、食べる。
それはいつもの光景だ。1年の頃から何も変わってはいなく、それはまた、夏姫も同じだった。

学食のパンはすぐになくなるのがここの通例だ。4時限目終了のチャイムがなった瞬間にそのレースはスタートされ、血気盛んな男子たちが人気=旨いパンを求め走っていく。
しかし売れるのは人気があるものだけ。豆パンとクリームパンが混ざったようなものなどは売れることはないのである。
彼らと同じパン派の―――彼には弁当を作ってくれる人がいないため―――夏姫はゆっくりとスタートし、最後に余っているそのパンを買って、一人屋上手前の踊り場でそれを食す。
出来ることならば屋上で食べてみたいと思うが、残念ながらこの学校は屋上を開放していないため、それは不可能だった。

そう、いつもどおりにパンを買いに行くはずだった夏姫。しかし、教室を出た瞬間―――彼を恐らく待っていたのだろう、さくらに呼び止められた。

「……なに?」

無愛想に夏姫は答える。それは意識してやったものではない。一人でいるために彼の中でいつの間にか染み付いて離れなくなったものだ。

「っ……」

訝しげな、それでいて人を寄せ付けないオーラのようなものが滲み出る彼を見てさくらは多少怖気づいた。

―――なんて、寂しげな目をしている人なんだろう。

前髪に隠れているその瞳が自分の中にすっと入ってきて、さくらはそんな感想を抱いた。
誰も寄せ付けたくない、一人にしてくれと強がっている。さくらは一瞬にして見抜いた。
それはさくらが誰よりも思慮深く、様々な人と触れ合ってきた経験からだった。

「用事がないんだったら、俺、もう行くけど。パン売り切れるし」

それは嘘だった。夏姫が買うものは全て売り切れることのないもの。人気がないものなんだから。
たださくらと一緒にいたくないという感情がそんな台詞を吐かせた。

「…あの、さ」
「あぁ」

それだけ言ってさくらは二の句をその口から紡ぎだすことができない。まるで体の中で言葉たちが宙を舞っているかのようだ。
どうにかしてそれらを捕まえようとするが、伸ばした手は届かない。

「…………」

黙りこくるしかないのだ。
さくらは芯の強い女性だ。精神年齢は年の割には高いし、思慮深いため人の嫌がることなんて絶対にしない。
だが、それ故に今、この状況で、続きを喋りだすことができない。
おせっかいだと思うから。簡単に踏み込んではいけない場所だから。
誰だって人から疎んじられるのは嫌なことだ。無論さくらだって例外ではない。

「な、夏姫君てパン派だったんだっけ。じゃ、じゃあ早く行ったほうがいいよね」

結局、はぐらかすことしかできないのだ。

夏姫がもしも心を読むことができる超能力者だとしたら、彼女を弱いと思うだろうか、意気地なしだと思うだろうか。
生憎、彼は超能力者ではなく普通の高校生なのでそんなことはできないので、その真偽を確かめることはできないが、少なくとも弱虫だとは思わないだろう。

「…? あぁ。じゃあ、行くわ」

訝しげな表情を浮かべ、夏姫は1階の購買部へと向かっていった。


「……わたしの、弱虫」


さくらは、そうは思ってはいないようだった。

前へ 目次へ 次へ
TOP - NOVEL