TOP - NOVEL

忘れない……今でもはっきりと思い出せる。



『夏姫は将来何になりたいの?』


『僕? 僕はねー……』


『ね? お母さんに教えて?』


『んーとねぇ……』



あぁ、なんてことをしてしまったのだろう……



『なになに?』


『母さんにだけ特別に教えてあげるっ。僕、おまわりさんになりたいんだっ!』



意気揚々として、自分だけの秘密ごとを言ってしまうときの楽しそうな顔……。


後悔で心が押しつぶされそうになる。



『おまわりさんになって、お母さんのこと守るんだっ』




そして、夢が消える。









Summer
2:――夏姫の夜――

Presented by 三式










街の明かりが消え、静寂と暗闇が何もかもを支配していた。

夏姫はベランダにでてグラスを傾けた。すると喉から胃にかけてじわりと熱い液体が通る。

熱い。喉が焼けそうになった。だが飲むのを止める気にはならなかった。

この食道を通る時の熱さが何もかもを流してくれそうだ…とそんな意味のない想像が夏姫を埋め尽くした。

カラン…氷と氷がぶつかり、それが酒がなくなっていることを示した。

キャップを回して茶色の透明な液体を注ぐ。

その手に光る酒。銘は『響』。名前の通りシンプルかつ美味いらしいので、なにやら街で評判のウィスキーだ。

値段も3000円と割とお手ごろなので買ってみたのだが……味の良し悪しなんてさっぱり分からなかった。

云われてみればいつも飲んでるやつよりはそこはかとなく美味い気がする。


「…………」


夏姫は夜はいつもこんな感じに過ごす。

早寝をするというのはどうも身体に合わないらしく、毎日寝るのが2時過ぎになる。

それまで何をしているのかと言われると、夏姫は困ってしまう。

普通の高校生なら友達とメールをしたり、TVを見てるなりするだろう。だが、夏姫は携帯もTVも持っていない。

携帯は持っていても使わないし、TVは見ても面白く感じないから。

一応CDコンポを持ってるが、ほとんど音楽なんて聴かないし、使うとしてもラジオのニュースをたまに聴くだけだ。

すると何もすることがなくなってしまう。

勉強という手もあるが、学校で授業をするのになんで家でまでしなくちゃいけないんだという気持ちのほうが強い。


「…………っく」


最終手段がこれ。

眠くなるまで、酒を飲む。とは言ってもそんなに一気に飲むわけではなくて、少しずつ飲むのだ。

するといつの間にか朝になっている。

習性なのかは分からないが、目覚めるのはいつも自分のベッドの上だった。



人生は、つまらない。

友人はいないし恋人なんて以ての外。

―――親すら、いない。

どうしてあの人は俺を捨てたんだろう。

考えても考えてもその答えにたどり着くことはない。螺旋。

夏姫は何年もそのことを解明しようと、自分の頭の中でだけだが考えてきた。

だが、答えが見えないのは当たり前だった。

あの人と、俺は違う人間なのだから。


「…クソ。何なんだよ……」


ベランダの下を除くと野良猫が歩いていた。

胸の奥がだんだんと冷えていったような感じを受ける。

…せっかく、今日はいい夜になると思っていたのに。

嫌でも夕方のことが頭に浮かんでくる。一時の、偶然の逢瀬。



夏姫が彼女―――さくらのことだ―――と初めて話したのは1年の秋ごろだった。

勿論、夏姫から話しかけたわけではない。さくらも最初は好奇心などで話しかけたわけではなかった。


校外HRで一緒の班になったからだ。


夏姫が通っている学校は1年のときに日帰りの校外授業を行うことになっている。

新幹線や高速バスを使い、隣の県に行ったりするのだ。

その際、一クラス纏まって行動するわけにもいかないため、何班かに分けて行動することになっている。

それで、夏姫とさくらが一緒の班になったのだ。

なった、というのは少し間違っているかもしれない。さくらがそうさせたのだ。

夏姫は1年の最初のほうから浮いている存在だった。

人に話しかけることもなく、話しかけられてもそっけなく接する。加えて容姿が容姿だ。夏姫に近寄る人はほとんどいなかった。

『浮いている』というのが顕著に現れるものの第一線として、こういう班決めが当てはまる。

事務的に出席番号順などで決めるのならばそういうのは出てこないが、自由班となると話は違う。

必然的に仲の良い友達などと班を組むことになり、そして友達が少ない生徒は『余りもの』となる。

夏姫は間違いなく後者だった。

どうせ、いつもどおりに先生にどこかに強制的に入れられるんだろうとか思っていたら、思わぬ誘いがきた。


「…柳瀬くん。この班に来ない?」

「………………は?」


夏姫は思わず耳を疑った。

どこか壊れているのかもしれない。そう思うほど夏姫にかけられた言葉は衝撃が強かった。

夏姫は彼女が言った『この班』のメンバーを確かめた。

男子が1人と、女子はさくらを合わせて3人。計4人の班員。

男子の方は比較的明るい人柄のやつだったと記憶している。女子のほうは……さくら以外知らなかった。

一通り見回した。

夏姫はどうするか迷った。だが、どうせどこかの班には入らなくてはいけないし、それにしても黙っていれば干渉はしてこないだろう…と思い、その班に入ることを決めた。

その旨をさくらに話すとさくらはそれをメンバーに伝えた。

見たくはなかったが、さくらが口を開いた瞬間ほとんどが一瞬嫌な顔をする。

そして、メンバーが申し訳なさそうな顔をしてさくらのもとから離れていった。

さくらが夏姫の元に戻ってくる。

迷っているのだろう。顔がいつもと違った。

さくらのいつもの顔なんかほとんど見たことないから確信はできなかったが。


「……なんかみんな抜けていっちゃった」

「……俺なんか、入れようとするからだよ」


ばつが悪そうにいう彼女を庇うように夏姫は言った。


「そんなことないよ!」

「………………」


言った彼女の声にウソが混じっていたのにはすぐに気づいた。

ウソを吐かれること、嫌な顔をされるのは慣れたはずだった。だけど、彼女の痛々しい顔が夏姫の心の中に残る。

校外HRなんて休むからいいよ、と言おうとした夏姫より一瞬早くさくらが口を開いた。


「……2人でいっか。うん!決めた!」

「…何が」


一人で盛り上がらないで欲しい。


「他の人はいいや。2人でも別にいいらしいからね」

「だから、何がですか」

「柳瀬くんは私と2人の班にするの。んで、一緒に見学するの」

「………………………………………は?」


たっぷりと20秒はかけた。

何度も何度もその言葉を頭の中で反駁し、ようやく意味が通った。


俺が、安藤と、2人っきりで、行動する。


夢を見てるのかもしれない。いや、これは夢だ。そう思い込もうとした。


だって、俺と2人でいるなんて―――誰だって嫌がるはずだ。

こんな無愛想なやつなんか……。


そんな夏姫の思いとは裏腹に、さくらはスラスラとその専用用紙に名前を書いていく。


班長 安藤さくら

副班長 柳瀬 夏姫

備考 特になし


「でーきたっ。完璧!」

「…………えーっと、安藤さん?」

「ん? なに?」

「あのさ……」

「俺と2人でいいのっていう質問以外なら受け付けるよ」

「…………なんでもない」

「よろしいっ」


どこか嬉しそうに言うさくらに対して夏姫は何も言えなくなった。

どうにでもなれ…と投げ遣りになった。煮るなり焼くなり好きにしてくれ。

だけど、心のどこかでは嬉しいといったような感情があった。

見捨てられなくてよかった、と。

その時のさくらは、夏姫が少し心を開いてくれたと思い上機嫌だった。


「あぁ、柳瀬君。今日、班行動のスケジュール決めるか放課後帰らないでね」


未だ嬉しそうな表情を隠すことなく、さくらは夏姫に言った。

夏姫はただ、頷くことしかできなかった。


「……はい」




「俺は、何を…?」

何をあんな昔のことを思い出しているのだろう。

勝手に呟いた体が嫌に軽くなって、夏姫はますます調子が悪くなった。

これでは、ただのバカではないか―――。

……別に俺は安藤のことを好きだとか思っちゃいない。

そんな思春期の中学生じゃあるまいし、ましてや恋に恋焦がれる乙女じゃあない。

無論、安藤に下心なんて覚えたことは、ない。

その夏姫の考えは本心だった。

確かに安藤の顔はそこそこ可愛いが、夏姫は面食いではない。

実際さくらと話していたって胸が高鳴るわけではない。


グラスに酒を注ぎ足し、一気に口に含む。酒が喉を焼く。

少しハイペースかもしれないと思った頃にはもうビンの中は空になっていた。


頭が、ぐらぐらする。

まぶたが落ちそうになる。


いくら夏前だからといってこの時期、夜は冷える。

普通の人なら風邪を引くだろう。


「(……まぁ、俺は普通じゃないし)」


身体も熱くなってるからな、別にいいだろう…。

まぶたが半分以上は落ちてきて、これが全部しまったら一瞬で寝てしまうだろうと、朦朧とした意識の中で夏姫は思った。

最後の力を振り絞ってビンとグラスを割れないようにベランダに置いた。


「(あぁ、眠い―――)」


一瞬だけ夜空に浮かぶ月が見えた。

月はその存在を黄色い月光で見るものすべてに知らしめていた。闇の中に滞在するその体は他を圧倒していた。

星の輝きさえ、月という存在には敵わなかった。

―――あぁ、ダメだ。


体が、うごか、な、い―――


前へ 目次へ 次へ
TOP - NOVEL